こんばんは、花粉の驚異に振り回されまくりのうめこです。今まで薬を飲むほどではない軽症だっ... こんばんは、うめこです。 予告とあらすじ; 実話?鹿野靖明さんってどんな人? 筋ジストロフィーって? いつ発症したのか; 本人年表まとめ 度々電話で話すシーンが出てくるのですが、いつも固定電話なんですよね。 必要とし、一人では行動できない為ボランティアの人たちが, しかし、実際は楽しく生活をしていたそうで All Rights Reserved. とはいえ、健... こんばん、うめこです。 映画『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』を見ました! 感動作でしたが、時代背景が気になりました。 度々電話で話すシーンが出てくるのですが、いつも固定電話なんですよね。 一体どのくらい前の話なのでしょうか。 主人公鹿野靖明についてと原作にも触れています。 Copyright © 2020 ともいきブログ All Rights Reserved. は、鹿野靖明(しかの やすあき)(故59歳) ・年齢:59歳(2019年の現在) ... こんばんは、うめこです。以前は医者の視点で患者を見つめたノンフィクションをご紹介しましたが... こんばんは、肉と魚どちらかと言えば、圧倒的に肉派のうめこです。 家族がいると囁かれていますので、20代の, 頃は『進行性筋ジストロフィー』の難病に 思うような仕事ができなかったと思います。, 子供の頃から計算が得意だったそうで、 ©Copyright2020 教えて?あんなコト!こんなコト調査団!.All Rights Reserved. 死因は筋ジストロフィーで死去) こうして映画化までされる魅力があった 鹿野 靖明 19901110 「くらしのありようはそれぞれ」 『いちご通信』086:08-11 鹿野 靖明 19910910 「自立生活基金ニュース」 『いちご通信』091:023-024 鹿野 靖明 20011101 「コミュニケーションの重要性」 『難病と在宅ケア』07-08(2001-11):55-58 [b] ありがとうございました^^, このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください。. 明るい表情や喜怒哀楽をきちんと表現して, くれて、とても人間味がある男性だったので 鹿野 靖明 19901110 「くらしのありようはそれぞれ」 『いちご通信』086:08-11 鹿野 靖明 19910910 「自立生活基金ニュース」 『いちご通信』091:023-024 鹿野 靖明 20011101 「コミュニケーションの重要性」 『難病と在宅ケア』07-08(2001-11):55-58 [b] (45歳)さんで、ノンフィクション作品になっています。, 病気の病名は、時間とともに全身の筋肉が徐々に衰えて wikiプロフィール情報の年齢とのギャップ, https://twitter.com/bananakayomovie/status/1055232537038008321, 鹿野靖明さんの出身高校・大学はどこ 見ると、改めて健康の大切さがわかりますし、, なにより楽しく毎日を過ごす事で、周りの人の Σ(゚∀゚ノ)ノ, 鹿野靖明さんのwikiプロフィール情報を (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); 紙に自分の開いた手をデッサンするとき手から描くのではなく手の周囲の風景から描くだけで「手」が浮かび上がる「自分」って何?と聞かれたら、自分の周囲のことを話しませんか?どこの生まれだとか。どこの学校を出たとか。どこの会社で働いているとか。自分の性格を言い表すときに、こんなことがあった、あの人にこんな事を言われた。自分の周囲のことを話すことで、「自分」というものがくっきりと浮かび上がってきます。これは自分というものは周囲との関係性で成り立っていることを表しています。自分は『自分』という点のよう存在ではなく、すべてのことと関係を持った存在なのです。関係性が自分なのです。, 『人はひとりでは生きていけない』と考えたとき、他人を大切にしないといけないとか、ひとりで頑張っても限界があるとか、助けてもらわないといけないとか。いろいろなことが頭に浮かびます。確かにそうなのですが、それを貫く一本の考え方の軸のようなものが欲しくなります。『人はひとりでは生きていけない』と言ったとき、それはこれからのことを差して言っている印象があります。しかし、これからだけではなくて、これまでも『人はひとりでは生きていない』のです。バーチャル・ウォーターの話しをご存知ですか?「おにぎり1個を作るのにどのくらいのお水が使われているか知っていますか?」米作りからを考えると実に270リットルもの水が必要なのだそうです。この見えないところで使われている水をバーチャルウォーター(仮想水)といいます。ほとんどの人がこの水のことは知りません。意識にないといった方が適当です。おにぎり1個の後ろには目に見えないものがたくさんあるのです。水270リットルだけではありません。お米を作る人、握る人、土、太陽、電気・・etc.人だって同じです。前章で『自分』は関係性で出来ていると言いました。『人はひとりでは生きていけない』これまでもこれからも。ひとりでがんばっているつもりで孤独な気持ちの人がたくさんいると思います。だれも自分を見てくれない、認めてくれないと自己否定をしている人もいるでしょう。しかし、生きている以上、誰とも関係性を持たずに生きている人はいません。これまでもこれからも。生きているだけで素晴らしい。それは『人はひとりでは生きていない』からです。迷惑をかけたり、かけられたりしながら周囲との関係性を持ちながら生きているのが自分なのです。, 鹿野靖明さんはとてもわがままでボランティアを振り回すのに延べ500人のボランティアに支えられた人です。鹿野靖明はひとりでは何も出来きません。すべてをさらけ出さないと助けてもらうことも出来ない。出来ないことを出来ないと言わないと助けてもらえないし、やって欲しいことをやってくれと言わないとやってもらえないのです。しかし、だからこそ強いのだとも感じます。隠しているところがない。心も身体もです。排泄しても自分では拭けません。性処理だって誰かの助けが必要です。当時のボランティアの方たちもそうだったのではないかと思うのですが、そうやって自分をさらけ出す鹿野靖明という人間をみて自分の弱さや解放されていない心と向き合ったのではないでしょうか。まさに鹿野靖明は命をかけた生きた教材だったのです。支える人、支えられる人。これも関係性です。しかし、それは一方通行な見方です。支える人は支えられる人がいて成り立っています。支える人が優位に立ち、支えられる人が卑屈になる。この映画を観るとそんな固定概念が覆されます。支えてもらう人が、支えられることで支える人の教えになっている。まさに人間は等しく平等なのだと教えられます。, 『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』をご覧に成りたい方は下記のサービスでご覧いただけます。, 明治時代、ある禅僧(禅宗の僧侶)が大学の倫理学の先生たちに、禅の教えを説いた。その時に、次のような問題を皆に考えさせた。「川にあなたの母と妻が溺れている。どちらの方を先に助けるべきか?」大学の先生方はアレコレ議論する。儒教の立場では、何よりもまず「孝」を重んずる原理であるから、母を先に助けるべきだ………と主張する先生もいる。いやいや、西洋哲学では家庭の基本原理を夫婦においているから妻を助けるべきだ………と言う先生もいる。アレやコレや、議論はまとまらない。「おまえたち、そんなに議論ばかりしていると、二人とも溺れ死にするぞ!早く助けんかい!」禅僧は、そう叱った。でも、叱られても、おいそれと結論は出ない。「和尚さんであれば、どうされますか?」誰かが禅僧に尋ねた。すると、和尚はこう言った。「わしか。わしであれば、まず近くにいるほうを助ける」そう………これが智慧である。私たちは凡夫の知恵で、「母が先か、妻が先か」とこだわる。それでは、とっさの場合に人を救えない。この場合、母も妻も溺死させてしまう。仏教の説く智慧には、そんなこだわりはない。, どっちを助けるかで迷うということは命の重さを測っているということになります。母の命か?それとも妻の命か?もし、他人ならどうするか?命が平等であるなら和尚さんのようにまずは助けられる人から救うのではないでしょうか?すべてを”ひとつ”と考え『ありのまま』に観ることが、この世の理ことわりに適った生き方でなのです。, お釈迦様が悟ったことを表現する喩え話のひとつが縁起論です。原因と結果は切り離せない関係にあり、たとえ原因と結果の間に時間的空間があったとしても『原因と結果』でひとつのものであるということです。これはこの世に存在するものがひとつであるということのひとつの表現です。今日は『縁起論|お釈迦様が悟ったこと|すべては縁によって起こっている』と題して、縁起をさらに別の喩え話をすることでお釈迦様が悟ったことの感覚的な部分を解説出来ればと思います。, すべては縁によって起こっている原因と結果は切り離せない1セットだということです。良い悪いは人間の主観、ジャッジによるものです。絶対的なものではありません。自分の解釈次第で良い縁にも悪い縁にもなるのです。あれとこれは1セット今起こっていることは次起こることの原因、縁ですから、今起こっていることを良い縁にするために今どうするべきか?と考えることが『縁起が良い』のです。自分は周囲との関係性で成り立っている自分は『自分』という点のよう存在ではなく、すべてのことと関係を持った存在なのです。関係性が自分なのです。人はひとりでは生きていけない『人はひとりでは生きていけない』と言ったとき、それはこれからのことを差して言っている印象があります。しかし、これからだけではなくて、これまでも『人はひとりでは生きていない』のです。迷惑をかけることで役に立った鹿野靖明出来ないことを出来ないと言わないと助けてもらえないし、やって欲しいことをやってくれと言わないとやってもらえないのです。, ともいき個人セッションでは、あなたのお話を聞くことで、あなたが見えていないもうひとつの現実をともに探します。目から鱗が落ちる体験になります。. 感動作でしたが、時代背景が気になりました。 ・原作は渡辺一史のノンフィクション『こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち』, 80年代『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で映画に目覚めジャン=ジャック・ベネックス、パトリス・ルコントなどフランス映画にどっぷり。現在はなぜか海外ドラマのコージーミステリーにハマる2児の母。, このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください。. 『こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち』渡辺一史著 文春文庫 裏表紙あらすじより引用 . 『こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち』渡辺一史, 映画のノベライズはこちら↓ とは思えないほど、明るい表情で笑顔が素敵 WordPress Luxeritas Theme is provided by "Thought is free". 現在の場所 : トップ > 健康・福祉・衛生 > 医療・健康・検診・予防接種 > 健康に関するイベント・相談 > 教室・公開講座 > 【令和2年11月15日から再開】公園を活用した健康づくり事業 ~身近な公園で健康づ … (お若い方、ポケベルわかりますか?笑), 人工呼吸器がつけられた1995年にはもうちょっと普及していました。 Σ(゚∀゚ノ)ノ. さて、皆様、ボランティアってやったことはありますか? 内閣府の子供・若者白書 令和元年版によりますと、日本の青年はアメリカ、韓国、イギリス、ドイツ、スウェーデン� のストーリーには原作があり、渡辺一史さんという, 職業は、30代の頃に難病になっているので © 2020 elinstyle All rights reserved. 渡辺 一史 20030331 『こんな夜更けにバナナかよ――筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち』,北海道新聞社,463p. 『縁起がよい』とは何かよいことがおこりそうな様子、その兆しをみたときにいう言葉ですが、本来は仏教の考え方です。お釈迦様が悟ったことを説明するためのひとつの喩え話です。, 今日は『縁起論|お釈迦様が悟ったこと|すべては縁によって起こっている』と題して、縁起をさらに別の喩え話をすることでお釈迦様が悟ったことの感覚的な部分を解説出来ればと思います。, 世界一、幸せなみなさんへ 今日も読んでいただき感謝しています。 そして、幸せでいてくれてありがとうございます。 くろちゃんも、いつも幸せを感じています。 くろちゃんは、世界一幸運です。 毎日、奇跡を感じているくろちゃんです。, 釈迦(本名:ガウタマ・シッダールタ、パーリ語ではゴータマ・シッダッタ)は紀元前5〜6世紀頃、ルンビニー(現在のインドとネパールの国境付近にあった小国)に生まれました。 父は釈迦族の国王であるシュッドーダナ、母は隣国コーリヤの執政アヌシャーキャの娘、マーヤーです。マーヤーは出産のためにコーリヤに帰ろうとしていた道中、ルンビニー園という花園に差し掛かったときに産気づき、出産したといわれています。北伝によれば春暖かな4月8日のこと、ルンビニー園には花が咲きほこっていました。そのため釈迦が誕生したといわれる4月8日は、現在も「花祭り」( “灌仏会(かんぶつえ)”や“降誕会(ごうたんえ)”ともいわれる)としてお祝いが行われています。釈迦は誕生した直後に立ち上がって7歩歩き、右手で天を、左手で大地を指差したまま「天上天下唯我独尊」(てんじょうてんげゆいがどくそん)と説いたといいます。, 『縁起』とは、すべては原因があって結果があるということです。良い結果は良い縁によって起こっているし、悪い縁では悪い結果が起こります。ですから、何かよいことがおこりそうな様子、その兆しをみたときに『縁起が良い』という言い方をします。しかし、良い悪いというジャッジは人間の主観的なもので、起こった出来事が良いか悪いかは人それぞれです。ですから、良い悪いということは横に置いて、『すべては縁によって起こっている』というところが大事なのです。原因と結果は切り離せない1セットだということです。ここからが大切なところです。結果は次の結果の原因でもあります。すべては連続しています。ですから、良い結果を得たいのであれば、今この瞬間を良い縁にすることなのです。過去にあんなことがあったから仕方がないと考えるのではなく、それを良い縁にするためには今どうあるべきか?こう考えることで結果に対する解釈が変わります。良い悪いは人間の主観、ジャッジによるものです。絶対的なものではありません。自分の解釈次第で良い縁にも悪い縁にもなるのです。, 何か悪いことが起こったとき、『あれさえなければ・・・。』と思うことは多いです。しかし、縁起論で考えるなら、その考え方はナンセンスです。あれ(縁)とこれ(起)は1セット、切り離せない関係です。過去を今と切り離して、今の起こっていることの原因を過去のせいにして嘆いても何も変わりません。今起こっていることは次起こることの原因、縁ですから、今起こっていることを良い縁にするために今どうするべきか?と考えることが『縁起が良い』のです。. (´・ω・`), 鹿野靖明さんの顔画像(写真)を見ると、 最後まで読んで頂きまして、  公式ツイッターは「この度の三浦春馬さんのご逝去を悼み、心からお悔やみ申し上げます。クランクイン前からとても熱心で、撮影現場では朗らか、且つ一生懸命に田中役に取り組まれていました。あなたの輝きを私たちは永遠に忘れません。どうか安らかにお眠り下さい。ご冥福をお祈り致します。製作委員会・スタッフ一同」と悼んだ。 好きなものはミュージカルと漫画。 (2002年8月12日に42歳で 簿記などを習っていたとも言われています。, なので、鹿野靖明さんは経理の仕事をしていた 先に申しますと、今回モデルとなった鹿野さんは2002年に永眠されています。 一体鹿野さんのどういったところが、映画化されることになったのでしょうか? 鹿野靖明さんの経歴や生い立ちを見ていきましょう! 鹿野山神野寺 所在地等. を卒業されていました!, また、鹿野靖明さんの顔画像(写真)はいつも 出身高校・大学時代に珠算・タイピング・ Copyright © SPORTS NIPPON NEWSPAPERS. (ほっかいどう まこま ないようごがっこう) アーカイブス2020年11月号は「田中将大 伝説の24連勝、楽天 球団初の日本一」. Copyright © SPORTS NIPPON NEWSPAPERS. 表情をしていました 動けない状態になったら、人生を嘆いて私生活 『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』渡辺一史・原案, ・映画『こんな夜更けにバナナかよ』は90年代、まだ携帯電話が今ほど普及していなかった時代の物語。 一体いつのことなのか、主人公鹿野靖明の生きた時代を追ってみました。, 筋ジストロフィーを発症して入院生活を送ることもありましたが、養護学校の高等部を卒業し身体障害者職業訓練校経理事務科入学。 簿記、珠算、タイプなどを学びます。, 『こんな夜更けにバナナかよ』でも言っていたように1987年には結婚しますが1992年に離婚しています。, 映画ではすでに離婚した後だったので少なくとも1992年より後のことが描かれていたのですね。, 携帯電話自体はあったけれど、今のように大人であればほぼ全員持っているというような時代ではありませんでした。, PHSを使い始める人がたり、まだポケベルがあった頃です。 ・生年月日:1959年12月26日 ・出身地:北海道札幌市, について知りたがってみました! 近頃の災害ニュースの中で、チラホラ「ボランティアが足りない」というフレーズを聞きますね。前に東日本大震災の津波で家を失った人が、新たな家を建てるまでを綴った『ナガサレール イエテール』というエッセイ漫画で、ボランティアの手助けが物凄い力となったと描かれていたのを思い出しました。これもお勧めです!, 今回取り上げる『こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち』はある意味ボランティア達が主役のルポルタージュです。大泉洋主演で映画化もされていますね。本当は映画も観た上で記事を書きたかったのですが、ドケチうめこは旧作になってから観たいと思っております。, ボランティアの現場、そこは「戦場」だったー筋ジストロフィーの鹿野靖明さんと、彼を支える学生や主婦らボランティアの日常を描いた本作には、現代の若者の悩みと介護・福祉をめぐる今日的問題のすべてが凝縮されている。講談社脳フィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞をダブル受賞した名著。, 内閣府の子供・若者白書 令和元年版によりますと、日本の青年はアメリカ、韓国、イギリス、ドイツ、スウェーデン、フランスの中で最もボランティア経験が少ないという結果が公表されています。, これはうめこの勝手な考察ですが、これは日本人の「偽善」を嫌う潔癖さも影響としてきるのかな思うのです。, 特に宗教や道徳的信念に関し、真の性格・性向を隠す一方で、美徳または善といった見せかけの外観をつくることを言う。したがって、一般的な意味において偽善には「不誠実なそらとぼけ」、「見せかけの振りをすること」、または「まやかし」が含まれることがある。偽善的な行動とは、他を批判するのと同じ行動を自らも行っていることを指す。, ここまで難しく捉えちゃうと大変ですが、要は「心の底からその人を思いやって行う善行でないと意味がない!」という思い込みが、ボランティア活動を「よその出来事」にしてしまう要因のひとつでもあるのかな、と思うのですよ。少なくとも、うめこ自身は。, しかし、よーく考えるとボランティアさんが台風で浸水した家の掃除をするとき、「住民の皆様の助けになりたい!」と思っての行動と「いいことしてる私、サイコー」と思っての行動は一見違うようでいて、技術のクオリティさえ同等なら残される結果は同じなんじゃないかと思うのです。, もちろん、「やってあげてる私」な偉そうな態度が行動に反映してしまい住民の方を傷つけるのならば論外ですが、行動がきちんとしていて人の手助けになったという結果があれば、ボランティアの心情は極論何だっていいとうめこは思います。, ちなみにうめこが唯一したことがあるボランティア活動は、学生時代に通ってた保護猫ボランティアのみなので、ちょっと参考にはならないかもしれません…。しかも、今は参加できていません。サンシャイン池崎さん、本当に尊敬しております。, さて、『こんな夜更けにバナナかよ』は「ボランティアをする人々は結局何を求め、何を得られるのか」「障がいを持つ人々が自立するためには何が必要か。そもそも、何を指して自立と言うのか」というとても重くて複雑な問いを、とってもユーモアのある語り口で深く追及した名ルポルタージュです。, 中心となる鹿野さんを筆頭とした、完全な善人も悪人も登場しない、ただただ「人間くさい人間」同士の集まりの記録と言えます。, まずは著者の渡辺一史さんについて。昭和43生まれのノンフィクション・ライターで、生まれは名古屋市。大学時代から北海道へ移り住み、そこを拠点として数々のノンフィクションを書いていらっしゃいます。, ある日、著者がお世話になっている新聞社の編集長から呼び出され、新聞記事に取り上げられたボランティアの24時間体制の介助によって生活している鹿野靖明という人物について本を書かないかと依頼を受けるところから、著者と鹿野氏の長い付き合いが始まります。, 鹿野靖明やすあき。40歳。「進行性筋しんこうせいきんジストロフィー」という病気を患わずらっている。全身の筋力が徐々に衰えてゆく難病である。効果的な治療法はまだ解明されていない。, 筋ジスだと医師に告げられたのは小学校6年生のときだった。以来、中学・高校を養護学校(現在の特別支援学校)で過ごし、18歳のとき足の筋力の低下により、車いす生活となった。32歳のとき心臓の筋力低下により、拡張型心筋症と診断された。, 一年ほど前から首の筋力低下により、ほとんど寝たきりの生活になっていた。動くのは両手がほんの少し、という第1種1級の重度身体障害者である。, しかし「すべてのことができない」というこのプロローグの言葉を、鹿野氏がいかに裏切っているかが次々と綴られていきます。, 鹿野氏は前述した通り、24時間体制の介助を必要としていまして、一部、有償のヘルパーの手も借りつつも、主に学生や主婦による大勢のボランティアが彼の生活を支えてきました。これは呼吸するための筋力が衰えているため人工呼吸器という機械を装着しているため、誰かが傍にいて呼吸器や気管内にたまる痰を吸引しなくてはならないからなのです。この処置が適切に行われないと、窒息してしまうのだそうです。, うめこは風邪をひくと、ものすごく喉が腫れるタイプです。そうなると一晩中咳と痰との闘いになるのですが、これが本当にしんどい。鹿野氏の状況は全然違うと思いますが、呼吸を阻害する痰の恐ろしさや苦しさを想像するとぞっとします。, さて、もしかして医療関係者の方がいらっしゃったとしたらこの鹿野氏の生活について疑問を感じたのではないでしょうか?, うめこはこの本で初めて知りましたが、本来痰の吸引は医療行為とされ、医療従事者にと例外的に許される肉親・家族のみ許可されるのだそうです。, と解釈して、この医療行為である痰の吸引を依頼していたのです。この押しの強さが、鹿野氏の人となりを象徴しているようにうめこは思いました。逞しい!, 補足しますと、この関係性はもし吸引ミスで最悪の事態を起こったとしても、ボランティアの責任は問わないという鹿野氏の決意の元で成り立っていたと著者は記述しています。, というまるでコンビニの交代シフトのように時間できっちり分けられています。1日につき計4人で。単純計算で月のべ120人。すごすぎる!, 鹿野氏介助のボランティアに参加する人は様々。超便りになるベテラン主婦から、おしゃれなギャル学生まで色んな人が色んなきっかけで集っています。, そしてそのボランティアたちが各々の気持ちや伝達事項を綴った交換ノートは「介助ノート」と呼ばれ、著者が取材を始めたころにはすでに80冊になっていました。この介助ノートの記述がちょいちょい引用されるのですが、学生たちの生の声が本当に味があっていいんですよね。ちょいちょい鹿野氏からの返事やボヤキもあったりして、交換日記を思わせます。, ただ暇だったし、何となくやってみるかっていう気で始めたボランティアだったが、いつのまにか「鹿野さんのために行ってるんだ」という自分がぶっ飛んで、何というか、自分のためというか、うまく言えなくけど、鹿野さんを通して自分を知る、鹿野さんに自分を教えてもらいに行く、という自分が今いるような気がします(かっこつけてるような気がするけど、実際は文章で書けないくらいドロドロした自分がいっぱいあるのです)。, 昨晩は、夜中に突然の来訪があり、驚きました。泊まりのボランティアの恋人が、おしかけてきたのです。自分のカノジョが、ボランティアを口実に外泊して遊んでいるのではないかと疑って、本当にボランティアをしているのかどうか、確かめに来たというのです。, ちなみに、このボランティアでの出会いがきっかけで結婚に至ったカップルも何組もいたそうで!, さて、タイトルの元になったも「バナナ事件」と呼ばれるエピソードが、鹿野氏とボランティアの関係をとてもよく象徴しています。, 呼吸器の筋力が弱くなり、入院して人工呼吸器を取り付けなくてはならなくなった鹿野氏。深夜の付添をしていた学生ボランティア・国吉さんは鹿野氏に起こされてしまいます。, 「こんな真夜中にバナナかよ」と国吉は内心ひどく腹を立てた。しかし、口には出さない。バナナの皮をむき、無言で鹿野の口に押し込んだ。2人の間には、言い知れぬ緊張感が漂っていた。, 眠気を堪えてゆっくりとバナナを食べさせ、やっと終わった・・・と眠り直そうとする国吉さんに、まさかの一言が投げかけられます。, なにィー!という驚きとともに、そこで鹿野に対する怒りは、休息に冷えていったという。, 真夜中によくバナナを二本も食べられるなー・・・とうめこは思いますが、それは置いておきまして。他人の「自分はこれをしたい!」と求める遠慮のなさに、逆に刺々しい気持ちが失せてしまうということは何となくわかるような気がします。, 「やってあげる私・僕」「それを謙虚に感謝する鹿野氏」というありがちな構図を想像してボランティアに首を突っ込んできた学生は、まずガンガン我が儘を言ってくる鹿野氏に面食らいます。バナナ事件はもちろん、鹿野氏の要求はなんとAVのレンタルにまで及んだとか…!, うめこは自分が介助してもらう立場だったら…と想像して、鹿野氏ほどに自分のやりたいこと、要求を貫ける自信がありません。しかし、一歩進んだところまで想像すると、「自分の気持ちを全部押し込んで生きること、それは自分の人生を生きていると言えるのだろうか」という問いが生まれてきました。, 「他人に頼ってまで自分のやりたいことを主張するのはいかがなものか」という意見もあるでしょう。…というか、最近、表に出てくる意見(主にネット上の)はそちら寄りであるようにうめこは感じます。しかし、そうなると鹿野氏のように生まれつき人の手を借りないと生命を維持することすら難しい人たちのアイデンティティを守ることそのものを、否定することにならないかと思うようになりました。, 社会が発達すること、国として秩序が生まれること、文化が成熟すること、それは色んな立場の人が「自分として生きること」を認めていくことに繋がることであり、自力では生きることが出来ない人にもそれが与えられるのが当然になっていることが、人が共同体を築いていくことの目的のひとつなのではないか…と思うのです。たとえイケイケの資本主義国家であっても、土台となる国の制度はそこそこ整えてありますよね。, もっと乱暴な言い方をすると、誰だって何か頼って生きているとうめこは思います。うめこはJR や東京メトロがないと楽しく生活出来ませんし、豚を育てる農家、それを殺す屠畜所、小麦から麺を作る職人がいてこそ、大好きな豚トロチャーシュー麺を食べられるわけです。, それはお金を払ってるから!等価交換だから!って突っ込まれそうですが、そのお金を貰うためのプロセスには労基署を始めとする、国の制度からの保護が必要不可欠です。ここまで成長しておばちゃんになるまでに、ワクチン摂取だの、検診だの、がっつり社会制度のお世話になってるんですよ。, なので、誰もが「何かに頼り、色んな人や社会に生かしてもらってる」わけであり、うめこと鹿野氏は単にその度合いが違うだけ、根本は同じ!と思うのです。, たとえ、山奥で自給自足で生活し塩だけ町に買いにいく…というご隠居であっても、塩の製造に関する制度や、ご隠居の住む山に放火をすることを禁じる国の制度に守られている…てことで、どこにいても「他者に守られること」からは逃れられないのだと思います。, もちろん、鹿野氏が病院の外で生きるにはボランティアを自ら募集しなくてはならなかったことに象徴されるように、社会の仕組みはこれから成長しなくてはならない部分も多々あります。, それをどうしていったらいいだろう?というのも、この本が読者に提示する大切な問いかけのひとつです。, 「困ってるひと」(大野更紗)を読んだときも感じましたが、お馬鹿なうめこはまず世の中で何が起こっているのか・社会にはどんな問題があって、どんな制度があるのか、現状を知ることから始めないといけないな、と痛感します。, ボランティアたちは、素直に生きる為の我儘を主張する鹿野氏と共に過ごしているせいか「何故ボランティアをするのか」という著者の問いにたいしても、驚くほど率直な内面を語ります。鹿野氏のつよーい自我に触れることで、前述した「ボランティアは偽善ではいけない、心からの思いやりからやらなくてはダメ」という思い込みからいい具合に抜け出すことが出来ているのかなあと感じました。, ボランティアは「人のため」というか、それ以前に、みんな自分をどうにかしてほしいと思って飛び込んでくるのかもしれない。, もしもうめこ自身がボランティアさんにお世話をしていただく身になったとしたら、正直うめこは「いや、あんたのためじゃなくて自分のためだから」と淡々とやってくださる方がどんなにか楽かもしれません。, ここでは紹介できませんでしたが、鹿野氏を含む、様々な自力では困難な障がいを持つ方々が結束し、どうにか自立して病院や施設で生きることができないか奮闘するエピソードも本当に読み応えがありました。特に、鹿野氏も所属していた「札幌いちご会」という障がい者の福祉団体の代表を努める小山内美智子氏という方が登場するのですが、彼女の著書も是非読んでみたいなと思いました。, 次回のコメントで使用するためブラウザーに自分の名前、メールアドレス、サイトを保存する。, 猫と一緒に細々と暮らす30代会社員です。